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春の巻 第三十四帖(691)-ひふみ神示 [日月神示(ひふみ神示)]

ひふみ神示 春の巻 第三十四帖(691)

(*昭和27年旧1月1日~27年2月15日=1952)

 

自分は自分の意思で生まれたのではないのぢや。

その時、その環境を無視できん。その法則に従はねばならん。

草を拝めば草が神となり、機械拝めば機械が神ぢや。

食物拝めば食物が神となる。

こころせよ。

神は人民を根本から永遠の意味でよくしようと、マコトの喜び与へようとして、ゐるのぢや。局部的、瞬間的に見て判らんこと多いぞ。

おかげは、すぐにはないものと思へ。

すぐのおかげは下級霊。

まゆにつばせよ、考へよ。

現在の環境を甘受せよと申してあるが、甘受だけでは足らん。

それに感謝せよ。積極的に感謝し、天地の恩に報じねばならん。

まことの心理を知らぬ人間には神は判らん。

( ひふみ神示 ; 岡本天明著 コスモビジョン発行 太陽出版発売 より)

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*心の眼で観て、感じていただくために。コメントは控えさせていただきます。

 

 


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ひふみ神示より(619) [日月神示(ひふみ神示)]

日月神示 

黒鉄(くろがね)の巻

第1帖(619)

汽車あれば汽車に乗れよ。

飛行機在れば飛行機に乗れよ。

歩いたり、馬で行くのでは間に合はんことになつてゐるぞ。

昔のままの宗教のやり方ではならん。

根本は良くても中々に目的地にはつかん。

飛行機時代には飛行機に乗れよ。

乗つて進む宗教の道によらねばならん。今は今の姿が真実ぞ。

そなたの頭で割り切れんと申してブツブツもうすでないぞ。

あるものそのものが真実であるぞ。

その在るものを拝み、祝福して其処から出発せよ。

現在を祝福することは過去を、未来を総てを祝福する事ぞ。

たとへ、如何なる現在も、その現在を祝福せねばならん。

喜びせねばならん。喜びともうしてあらうがな。

 

 

この巻きくろかねの巻き(一月二十三日、昭和二十五年)

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~~~~~

 

今、現在あること、与えられていることを祝福し、喜ぶことが大切!


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日月神示0411 [日月神示(ひふみ神示)]

第六十六帖 577


省みると道見い出し、悟ると道が分かり、改むると
道進む。

苦しむばかりが能ではない。

自分のなかにあるから近寄ってくるのであるぞ。

いやなこと起ってくるのは、いやなことが自分の中にあるから近寄ってくるのであるぞ。

いやなこと起こってくるのは、いやな事が自分の中にあるからじゃ。肉体は親から受けたのざから親に似ているのぞ。

霊は神から受けたのざから神に似ているぞ。

判りた守護神一日も早く奥山へ出て参りて、神の御用結構。

十二月十四日

一二十

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感じていただくために

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ひふみ神示より() [日月神示(ひふみ神示)]

ひふみ神示 二日ん(ジシン)の巻 第14帖

霊界には、時間がない。故に、霊人は時間ということを知らない。其処には、霊的事物の連続とその弥栄があり、歓喜によって生命している。即ち、時間はないが状態の変化はある。故に、霊人たちは時間の考えはなく、永遠の概念を持っている。この永遠とは、時間的なものは意味せず、永遠なる状態を意味するのである。永遠と云うことは、時間より考えるものではなく、状態より考えるべきである。故に、霊人が地上人に接し、地上人に語る時は、地上的固有的な一切をはなれて状態とその変化による霊的なものによって語るのである。しかし、この霊人の語る所を地上人が受け入れる時は、地上的固有的な一切をはなれて状態とその変化による霊的なものによって語るのである。しかし、この霊人の語るところを地上人が受け容れる時は、対応の理により、それが固有的地上的なものと映像されてくるのである。また、地上人に官能して語る時は、その冷媒の思念を霊人の思念として語るが故に、固有的表現と成り、地上人にも充分に理解しうるのである。多くの地上人は、霊人を知らない。霊人には、地上世界に顕現すあいる総てのものの霊愛が存在すると云うことを中々理解しないし、霊人は反対に、長い間地上世界のことを記憶しているものである。地上人が、何故霊界のことを理解し難いかと言うと、それは、地上的物質的感覚と、地上的光明の世界のみが、常にその対象となっているからである。例えば、心で人とは、地上人の心に通じ、或いはそのものであると考えるためである。つまり、霊人は、心であるから、目も、鼻も、口もなく、また、手足などもない、と考えるからである。ところが実際は、霊人そのものが手をもつが故に、地上人に指が生ずることを知らなければならない。しかも、霊人は地上人より遥かに精巧にできていることは、それを厚生するものが精巧であることによって立証されるであろう、霊人は地上人にまして一段と光明の世界にあり、一段とすぐれた冷帯を有している。霊界における事物は総じて霊界における太陽と太陰とによりて生まれてくる。それは、地上に於ける場合と同じである。太陽と太陰との交叉によりて生ずる歓喜によって、その生まれたるものは更にいっそうの光輝を放ち、弥栄となる。また、霊界には物質世界の如く空間はない。このことを地上人は仲仲に理解しないのである。霊界に於ける場所の変化は、その内分の変化に他ならない。霊界に距離はない。空間もない。只、あるものはその態の変化のみである。ゆえに、離れるとか、分かれるとか云うことや、内分が遠く離れていて、同一線上にないことを物語る。物質的約束に於ける同一場所であっても、その内文が違っている場合は、その相違の度に、正比較、正比例して、遠ざかっているのである。故に、地上的には、同一場所に、同一時間内に存在するいくつかの幾十、幾百、幾千万かの世界、およびあらゆる集団も、内分の相違によって、感覚の対象とならないから、ないのと同様であることを知り得るのである。

 

(*昭和20年9月10日~20年10月30日=1945.9.10~1945.10.30)

( ひふみ神示 ; 岡本天明著 コスモビジョン発行 太陽出版発売 より)

*夫々が感じることが大切ですので、あえてコメントは書かないことにします。


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平等って? [日月神示(ひふみ神示)]

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太陽や自然は差別もせず、すべての人に一番美しい姿を見せてくれています。

 

不況で今年はさらに倒産、失業者が増えると言われています。お助け合っていかなければいけない時だと思います。何をどうして行くのがいいのか?今までと同じように生活ではなく、意識を切替えていかないといけない時。平等ってどういうことなのでしょう?

《参考》

ひふみ神示 ヒカリの巻 第三帖(399)

*渦巻きマークが無いので@マークで代用してあります

 

今の政治はむさぶる政治ぞ、神のやり方は与へばなしざぞ、@(うず)ぞ、マコトぞ、今のやり方では世界は治まらんぞ、道理ぢゃなあ。天にはいくらでも与えるものあるぞ、地にはいくらでも、どうにでもなる、人民に与へるものあるのざぞ、おしみなく、くまなく与えて取らせよ、与へると弥栄へるぞ、弥栄になって元に戻るのざ、国は富んで来るぞ、神徳満ち満つのぢゃ、この道理わかるであらうがな。とりあげたもの何にもならんのぢゃ、ささげられたものだけがまことじゃ、乗るものもただにせよ、田からも家からも税金とるでないぞ、年貢とりたてるでないぞ、何もかも只ぢゃ、日の光見よ、と申してあらうが、黄金(きん)はいらんと申してあろが、暮らしむきのものも只でとらせよ、只で与へる方法あるでないか、働かんもの食ふべからずと申す事理屈ぢゃ、理屈は悪ぢゃ、悪魔ぢゃ、働かん者にもドシドシ与へてとらせよ、与へる方法あるでないか、働かんでも食べさせてやれよ、何もかも与へぱなしぢゃ、其処に神の政治始まるのぢゃぞ、神の経済あるのぢゃ。やってみなされ、人民のそろばんでは木の葉一枚でも割出せないであらうが、この方の申すようにやって見なされ、お上は幸でうもれるのぢゃ、余る程与へて見なされ、お上も余るのぢゃ、此の道理判りたか。仕事させて呉れと申して、人民喜んで働くぞ、遊ぶ者なくなるぞ、皆々神の子ぢゃ、神の魂うゑつけてあるのぢゃ、長い目で見てやれ、おしみなく与へるうちに人民元の姿あらはれるぞ。むさぶると悪になって来るのぢゃ、今のさま見て改心結構ぞ、そろばん捨てよ、人民神とあがめよ、神となるぞ、泥棒と見るキが泥棒つくるのぢゃ、元の元のキの臣民地(くに)の日月の神ぢゃと申してあろがな、六月十七日、かのととりの日、ひつくの神。(*昭和21年=1946年のものです)

( ひふみ神示 ; 岡本天明著 コスモビジョン発行 太陽出版発売 より)

 


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